自分の人生を生きていないと
感じる全ての女性へ、
私がなぜ今、お金や自己理解を伝える
活動を中心にしているのか?
このミッションやビジョン、バリューを
持つに至った理由には何があったのか?
その答えは全て私の
ストーリーの中にあります。
自分の人生を人に委ねて
生きてきた私に訪れたきっかけ。
TOMOZOのStoryをよかったら
のぞいてみてください。
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一歩の勇気がつくるもの
矛盾するこころ
「ともちゃん、今日も図書館に行くの?」
「うん、読みたい本があるから!」
「わかった!じゃあ、また明日!」
これは学生時代、私と友達の間で
幾度となく交わされた会話。
私は学校が終わるとすぐに教室を飛び出して、
図書館の自動ドアを足早にくぐり抜けていた。
昔から一人で図書館やカフェに
行くことが好きだった。
同級生と一緒に行動したり、
遊んだりすることも好きだったけれど、
静寂が約束された場所で、
冷たさがちょうどいい
ちょっと硬いイスに座りながら
本の世界に思い切り飛び込む。
そんな一人の時間も愛していた。
思えば、いつでも自分で選んでいた。
人といたい時はいるし、
一人になりたいときはなる。
正義感も強かったので、
いじめっこや理不尽な人に勝負を挑む時も、
感情的に......というよりは
自分で選んでやっていた。
周りに流されることなく、
選択できること。
これは私のアイデンティティの一つだ。
選べる自分が好きだったし、
自分で人生を作っているようで
(当時はそこまで具体的に
考えていなかったにしても)
とても心地がよかった。
でもそんな私のアイデンティティが
揺らぐことが度々あった。
それは『大好きな人ができたとき』
女性でも男性でも、
いわゆる親友や恋人ができると、
相手に嫌われたくなくて、
その人に気を使い、合わせてしまう。
相手の言葉に大きな影響を受けて、
自分自身の言葉を
すっぽりしまい込んでしまうのだ。
自分の中の矛盾に気づいていたが、
若い私にはどうすることもできなかった。
新しい生活と消えたアイデンティティ
高校を卒業した後、私は埼玉の実家を出て、
大好きな地『北海道』で一人暮らしをする
という大きな選択をした。
新しい家具、誰もいない部屋、
寒風で凍えるような寒さ。
今までとは全くちがう生活に
期待が膨らむ。
「どんな世界が待っているんだろう」
18歳の私には楽しい未来しか
想像できなかった。
しかし、お金のことを何も知らないまま
一人暮らしを始めた私に待っていたのは
知人に勧められるままに
長期で組んでしまったカードローンだ。
「これが欲しかったんだよね!」
買った当初こそ、
そう思っていたけれど、
金利のことも何も知らない私に残ったのは、
何年も支払わなければならない
多額のローンだけ。
周りを見ると同年代の友達や仲間が
詐欺に引っ掛かって泣いていたり、
出資したお金が戻ってこないと
悲しんでいたりした。
自分たちより年上の人が、
お金やビジネスを知らない若者をカモにして
儲けている姿を何度も
目の当たりにした。
お金の知識のあるなしで、
騙す人、騙される人が生まれることが
とても嫌だった。
こんな世界を作らないために私が
できることって何なんだろう?
お金の知識に関する関心、
使命感のようなものが
このころに生まれていた。
お金の知識への関心を抱きつつも、
ここで、『好きな人に嫌われたくない』
という病いが
ひょっこり顔をのぞかせる。
北海道で知り合って、
後に結婚することになる旦那だ。
「嫌われたくない」
その思いが強くなり
大好きだったバイクは
旦那が嫌がるから手放した。
ライブも大好きなのに
「行かないで」と言われると
行くのをやめてしまう。
体調を崩して
仕事を転々としていた私に対して
「専業主婦でいいんじゃない?」
その一言で仕事も手放した。
結婚して「家を建てよう」
という話になったときも、
私に何の相談もなく
旦那は交通が不便な土地を選んできた。
「もう働かないんだから、
あなたに場所は関係ないでしょ?」
その言葉にショックを受けつつも、
私はやはり何も言えなかった。
『選択できる』というアイデンティティは
煙のように消えてしまっていた。
大好きな人との生活。
穏やかではあったし、
幸せも感じていた。
でも......どこかモヤモヤが募る、
何かを忘れているような日々だった。
自分の人生は自分でつくる
人生には変化のきっかけとなる
事柄が必ず起こる。
穏やかながらもモヤモヤを抱えて生きていた
私の『きっかけ』は資格の勉強だった。
事業を新しく起こす準備をしている
旦那の役に立ちたいとはじめた資格の勉強。
真新しい資格のテキストを開いて、
時間を決めて勉強をはじめる。
何か目的に向かって行動すること、
自分で決めて勉強すること。
長く忘れていた喜びが
フワッと湧き上がってくる。
他の資格にも挑戦してみようと
探していたときに
FP(ファイナンシャルプランナー)の
資格と出会った。
そこには複利や社会保険、年金、
お金のライフプランニングなど、
私が若い頃に知りたかった知識が
たくさん書かれていた。
かつて芽生えた使命感を思い出す。
『お金の知識のあるなしで、
騙す人、騙される人が生まれる
世界をつくらないために
私ができることって何なんだろう?』
FPを取れば、私がお金の知識のない人に
必要なことを伝えていくことが
できるかもしれない!
そんな思いですぐに
FP3級の資格を取得した。
子供がまだ小さく、
すぐに動くことはできなかったので、
とりあえずFP2級を
取得しようと勉強している中で、
思いもよらない出来事が起こる。
旦那が進めていたプロジェクトが
失敗して1000万円の
借り入れだけが残ってしまったのだ。
衝撃だった。
1000万も借りて計画が
甘すぎた旦那にも驚いたが
何よりも嫌われたくないというだけで
『自分の未来を人任せにしようとしていた』
そんな自分に気がついて
ショックを受けた。
離婚したいという思いはなかった。
しかし、自分の中で
大きく変化したことがあった
それは「自分の人生は自分で創っていくもの」
ということを思い出せたこと。
嫌われることは嫌だし、
できれば避けたい、
でも嫌われたくないから
旦那のいう通りに生きるのか、
たとえ嫌われることになっても
自分がやりたいことをやっていくのか、
それすらも自分で選択できるということを
思い出すことができた。
希望が自分の中に
戻ってくるのを感じた。
FP2級の取得後すぐに次男を出産。
その後はすぐに
二人の子どもを保育園に預けて
起業資金をつくるために食品工場で
じゃがいもの皮を向くパートを始めた。
パートをしながら起業塾で学び、
お金の学びもさらに
ブラッシュアップさせていった
そして、2年後には
パートとかけもちで開業し、
モニター相談から活動を
本格的にスタートさせた。
動けば動くほど、旦那との溝は深まった。
旦那は今までのように、
後ろから支えて欲しいと思っていたのだろう。
でも私は人形のように言われる通りに
動くだけの自分でいる選択をしなかった。
自分で決めて行動すると、
仲間がたくさんできて、
成果も生まれはじめた。
過去のモヤモヤがどんどん消え
自分に対する信頼感が育っていった。
そうして......必然なのかとうとう
旦那とは離婚という話になり、
私は子供二人の親権をとりつつ、
北海道から埼玉に引っ越した。
心配はもちろんあった。
でも自分で決めたことへの
すがすがしさの方が上回っていた。
一歩を踏み出す勇気
離婚の後にわかったこと。
実は元旦那には他に女性がいたのだ。
それについては今でも憎んだり
恨んだりするつもりはない。
だってあの時の私たちは
どう見ても上手くいっていなかったから。
でももしあの時、
資格を取ろうとしていなかったら、
自分の人生は自分で創ると
決意しなかったら、
計画的に起業に向けて
動いていなかったら、
私は資格も知識も仲間も
自分への信頼感も何もないまま、
離婚をせまられていたかもしれない。
子供の親権だって
手に入ったかはわからない。
そう考えると行動することを
選択できた自分に心から拍手を送りたくなる。
今は、実家にもどり、親や子供たちと
にぎやかな生活を送っている。
大切な仲間に囲まれながら
やりたい仕事に夢中になって取り組む毎日だ。
朝起きて、青い空を見ながら
一日の過ごし方やビジョンを考える。
誰にも邪魔されることがない。
私が私のために決めた道が見える。
その道を日々歩んでいくこと。
そのことに深い幸せを感じて生活している。
人は様々な事情で
環境や人の意見に飲み込まれる。
それが悪いわけではないし
その生活に問題がない人や
そうせざる得ない人もいるだろう。
でも私はやっぱり言いたい。
『自分で決めることが大切』だと。
上手くいってもいかなくても、
自分で決めたのなら納得できる。
しかし自分で決めなかったことで、
上手くいかないとどこかしら
責める心が生まれてしまう。
自分で決めることが難しいということも、
よくわかっている。
私のように好きな人に嫌われたくなくて
合わせてしまう人もいれば、
決められたレールを進んできて、
そこからの外れ方が
わからない人もいるだろう。
まずは自分で選択するための
自信が必要なのだと思う。
自分の強みを知ることや、
経済的な安心感は
選択するための一歩を
踏み出す勇気をくれる。
私が目指したいのはこの一歩を
踏み出す勇気が持てるサポートをしながら
「私が選んでいい!私が決めていいんだ!」
と思える女性を増やしていくこと。
全ての女性が主体的で
自信がもてる社会をつくりたい。
楽しみながら自分の人生を
自分でつくっていってほしい。
そう願って私はこれからも活動していく。
Fin