高級なものを持っていることよりも貴重なこと
我が家の長男はもうすぐ5歳で、大きくなったらなりたいものがたくさんあるお年頃です。ある日は「大人になったらお医者さんになりたい!」またあるときは「大きくなったら警察官になりたい!」先日はとうとう「大人になったらGLAYになる!」と言い出しました。母の影響恐るべし・・・
GLAYになれる可能性は残念ながらかなり低いですが、無限の可能性を秘めている我が子に対して「いっぱい勉強したら何にでもなれるよ」と声掛けするようにしています。
この「勉強ができると何にでもなれる」という声掛けですが、息子がもう少し大きくなってから聞いてくるであろう「なんで勉強しないといけないの?」という、よくある質問の答えを想定しています。
世の中学歴がすべてとは思っていませんが、一定の職業に就くためには最終学歴が限定されている職種もありますし、専門の大学を出ていないとなれない職業というものも存在します。パイロットになるにも学力が必須ですよね!
学力があるということは、それだけ将来の選択肢を広げることができるということです。
そしてこれはお金に関してもいえることです。潤沢なお金を持っているということは、学力と同じく【選択肢を広げることができる】ことを意味しています。
たとえば外食に行くとき、お金にゆとりがある人は「今日はフレンチのコースの気分だな」という日もあれば、「今日はジャンクにファストフードの気分だな」という日もあり、そのどちらも叶えることができます。
一方お金が厳しい人の場合だと、フレンチが食べたいと思っても叶えられず、ファストフードという選択肢しか持っていません。
車を買うときにもお金がある人は「スポーツカーと小回りの利く軽自動車どちらにしようかな」と自分の好みで選択できますが、予算が限られている人の場合はそんな選択肢はありませんよね。
幸福度の高い豊かな人生というのは「高級なものを持っている」ことではなく【選べる自由を持っている】ことです。
「人間的欲望の本質は自由である」という言葉があるように人は自由を感じることで幸せを感じます。
お金は「自由を得るためのツール(道具)」と考えるとワクワクしてきませんか?
「お金がたくさん欲しい」と口に出すことは卑しいことだと思われがちですが、積極的にお金を増やすことは人生の自由度を高め、幸福度も高めることに繋がります。ハッピーになるのに制限をかける必要はありませんよね。
(この文章は過去に配信したメールマガジンの内容を編集したものです)